まだ、推しはいません。
こんにちは。トキメキカガクラボの研究員、「だが、推しはまだいない」です。
このプロジェクトに参加しているにも関わらず、いまだに「推し」は見つかっていません。
もしくは「推し」だと気づいていないのか。。
このプロジェクトを通じて、自分なりの「推し」を見つけていきたいと思います。
これって「推し」なのだろうか
辞書で引いてみると、「推し」とは『他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物』とのこと。
そのように解釈すると、推しがいないと言っていた自分にも、様々な「推し」がある気がしました。
一つはバンドの「Mr.Children」。
中学2年生から、今でもアルバムは欠かさず買っていますし、ライブも定期的にいっています。ライブや家でも曲を聞くと元気が出たり、気持ちが落ち着いたりするところが好きですね。
ただ、推し方でいうと、ミスチルのことを応援したいという気持ちよりは、「いつまでも自分を元気づけてくれる人」という位置づけで、ミスチルに気持ちを届けたいとか、グッズを買ってミスチルの売り上げに貢献したい等、そういった類のものではなく、ただ欠かせない存在=癒し的なものだということがわかりました。
もう一つは、今は無き「欅坂46」です。
デビューした際、アイドルらしからぬ、アーティスト性とダンスやMVのクオリティ。そして一切笑わないという斬新さにひかれ、今までそこまで好きではなかった坂道シリーズに脚を踏み入れることになりました。
坂道系といえば、握手会等といった「推しと会える」ファン向けのイベントがありましたが、会いたいや握手したい、応援したいという気持ちにはなりませんでした。行動としては、ライブやフェスに行く。曲、MVを見る。彼女たちが出演する番組を見るという、一定の距離を保ったまま、好きでいるパターンでした。
この2つに共通して言えるのは、「一定の距離感で満足しているということ」。
ただし、「ライブやイベントには出向くということ」。
やはり、ライブやイベントでの会場での生の声や、パフォーマンス、聴いたときの盛り上がりは一番の楽しみですが、ライブに向けて曲を深ぼったりする心の持って生き方や、ライブ後にセットリストを作って、帰りに聴く。そしてカラオケに行く。ライブ終わりの余韻も考えると、イベント前後の時間も含めて、一定の距離を保ちながら、「推し」ていたのだなと感じました。
推しの定義は様々
いわゆる世間一般的な「推し活」ではなくても、一見推し活していなそうな人でも、「推し」はいて、楽しみ方も様々。一瞬の盛り上がりだけではなく、一つのイベントを起点とした前後の高まりがあるんだと感じました。
例えば、「桜」みたいに、開花宣言までの各地の盛り上がりや、散るから美しい的な咲き終わった後の余韻等、日本的な情緒のように(笑)、「推し活」にもいろんな時間軸で楽しさがあるのではないかと感じました。
こんな気づきもありながら、推しのイベントの参加するとき、「人はどこで一番気持ちが高まるのか」、プロジェクト的に言い換えるなら「人はどこで一番トキメクのか」を実験等を通して紐解いていきたいと思います。